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カメラをポケットに入れて、町に出よう。 |
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トレース水彩画の行程を大きく分ければ、写真を撮る と、絵を描く の2つの行程に分けられますが、上達するにしたがって、 写真を撮る 行程が絵の出来栄えを大きく左右することになってきます。 なぜならトレース水彩画は具象画で情景を正確に描く技法であり、写真そっくりに描くことが、たやすく出来るようになるからです。 そのためこの項目では、写真を撮る に焦点を当てて、なぜ、どんな写真を撮ったらいいのかについて考えていくことにします。 私は散歩が大好きで、小型カメラをポケットに入れて、毎日欠かさず散歩に出かけます。 わが家は逗子にあり、逗子・鎌倉・葉山・江の島は私の散歩範囲で、昨日は海辺で今日は町と、神出鬼没で歩き回っています。 散歩の目的は健康づくりを兼ねた絵の素材探しであるため、私の散歩で出会った風景をご紹介します。
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すかさずシャッターを押しました。 鎌倉の街はゴミひとつないほど美しいのは、 街の人の美化への意識が非常に高いことにあり、 それが観光の街の礎になっているのです。 見過ごすような平凡な風景の中に、 心温かい絵の素材があるのです。 |
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七里ヶ浜海岸岸はサーフィンのメッカですが、 波を求めて遠くから来た若者が、 海があまりにも静かなので、 がっかりしている様を絵にしました。 このような物語を感じるスナップ写真は、 トレース水彩画ならではの得意分野なのです。 |
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江の島の近くの竜口寺の提灯の取り付けを行っているところに出会い、 その理由を聞くと、明日から祭りとのことでした。 もし普段の日の竜口寺でしたら、 絵のテーマには難しかったかもしれません。 提灯を目立たせるため赤くし、人物も強調するため 明るくしました。 |
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写真の欠点のひとつは、余計なものまで写ってしまうことです。 この絵の素の写真は、電柱が写っていますが、 絵では電柱を撤去するのが簡単で 、 それによりずっと魅力的な世界が表現できました。 絵は余計なものは、描かなければいいのです。 |
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朝とか夕方など陽が低い時こそ、写真の絶好のチャンスの時です。 映像がきれいな上に、背景がシンプルになるからです。 たとえばこの写真では背景が淡い一色となるため、 主役の3人娘が引き立つことになります。 その3人娘の足元をご覧ください。 海水の心地よさに感動している絵ですが、 写真では一人は靴を履いているのですが、 その感動を伝えるために、全員裸足にしました。 |
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北鎌倉近くのレストラン店前での風景ですが、 この写真だけで絵にするには物足りないと考えた末に、 もう一枚のおじさんの写真を合成することにしました。、 写真の合成は、 新しい世界観を創出するマジックがあるのです。 |
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夏の由比ヶ浜海岸ですが、 手前の女性のシルエットがとても魅力的で、 それを生かした絵にすることを前提に背景を大幅に変えました。 看板などを撤去し、海水浴客を入れることで 絵の世界は大きく変わりました。 |
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腰越港から見た江の島です。 江の島を描いてほしいとの依頼で、 何度も江の島に行き、いろいろな角度から写真を撮り、 かなりの枚数からこの絵の素の、 写真を選びました。 デジカメとなれば、遠慮なくドンドン写真を撮り、 その中から一枚を選ぶということになるわけで、 このシステムは これからの絵の描き方の主流になるかもしれません。 |
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早朝、 小坪港から釣り船が出航するところですが、 朝の光の柔らかさとは逆に、 今日は釣るぞ~!といったワクワク感を感じさせる そんな絵になったと思います。 朝の絶妙の光感を、写真が的確にとらえたからこそ描けたのです。 |
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(4Pの中の3Pの巻頭に来るコピーです) |
トレース水彩画の素としてのいい写真と、フォトコンテストの入賞を狙うようないい写真とは、少し違いがあります。 カメラマンは自己の意思でシャッターを押すものの、対象物はメカニズムによって機械的に映像化されるのです。 そのため芸術的写真と言えども、写真にはドキメンタリーとしてのリアリティがあり、客観性があるのです。 一方の絵は、一本の線も一色の色も、手作業により表現していくものです。 そのため具象画と言えども、描き手の性格や感情が強く出る、極めて主観的なメディアなのです。 だからトレース水彩画の素となる写真を撮る場合、「好き!」とか、「美しい!」とか、「かわいい!」とか、「!」の付く主観的写真がいいのです。 私は、「お~~、これはいい絵になる!」と、心の中で叫びながら、シャッターを押しています。 |